こんにちは。和歌山県で酒蔵を営んでいるあつおといいます!
皆さんは川上酒(かわかみさけ)という言葉をしっていますか?
和歌山県といえば梅、柿、クエといったおいしい名産品にくわえて、高野山に白浜などの名所を思い浮かべると思います。
ですが、それ以外にもたくさんの知られざる魅力があります。
その一つが川上酒です!
このサイトではこの地で生まれた私が川上酒の魅力について余すことなくお伝えされていただきます!!
川上酒の伝統を唯一受継ぐ初桜酒造
まずは川上酒について紹介させていただきます。
和歌山城から見て紀ノ川上流にあたることから、「紀州藩の川上」と呼ばれていた江戸時代の伊都地域。江戸中期には地元産の良質な酒米と和泉葛城山系の伏流水による酒造りが盛んになり、「川上酒(かわかみざけ)」として人気になりました。
わかやま歴史物語 酒をテーマに旅する「川上酒」のふるさとから引用
和歌山北部には奈良からつづく紀の川がながれ、その一帯でつくられたお酒を川上酒と呼んでいました。
その川上酒はおもにかつらぎ町でつくられ、現在も初桜酒造で受継がれています。
かつて酒の産地だった?川上酒について
川上酒の歴史は浅く、江戸時代の中~後期といわれています。
もともと、この地域は和歌山で1,2をあらそう穀倉地帯で多くのお米が育てられ、元禄13年(1700)の小田井用水(おだいようすい)の開発から川上酒は始まります。
詳しくはこちらのサイトをご覧ください
小田井用水について
その後、小田井用水が完成しさらに多くのお米がそだつようになり、一般人によるお酒造りが許され川上酒の発展へとつながりました。
川上酒の生産地 紀北(きほく)地域とは
では、どこで川上酒がつくられていたのか?
Q:川上酒が造られた場所は?
A:和歌山の紀北(きほく)地域
それは、和歌山の北東部にある紀北とよばれる地域です!
紀北では現在、柿にももなどの多くのくだものが育てられていますが昔のお米作りが盛んな地域でした。
江戸時代に書かれた「紀伊続風土記(きいぞくふうどき)」でも紀北のお米作りの話があり、縄文~江戸時代も時の権力者にお米が納められていました。
紀北で受け継がれる川上酒(かわかみさけ)
また、このお米作りがあるおかげでおいしいお酒がつくれます。
また、
- 県内でも有数のおいしいお米
- 山々からながれる豊かな伏流水
- 年間をとおして寒暖差がある紀北の気候
- 県内でも有数のおいしいお米
- 山々からながれる豊かな伏流水
- 年間をとおして寒暖差がある紀北の気候
などがあり、川上酒は小田井用水の改革からはじまりましたがそれを支えたのは紀北の風土があったからです。
江戸時代では33軒の酒蔵が軒を連ね、酒の唄が響き渡ったといういわれる川上酒はさまざまな幸運により全国に名を知られた産地となっていきました。
川上酒の中心地 かつらぎ町
では、
Q:紀北にある酒蔵のその中心地はどこだったのか?
A:答えはかつらぎ町です。
この地域では約16軒の酒蔵が伊都郡酒造仲間(いとぐんしゅぞうなかま)というグループをつくり活動していました。
その中には県内でも有数の生産量をほこり川上酒の顔であった帯庄(おびしょう)酒造に本家、分家と分かれお酒造りをおこなっていた木下酒店などがあります。
紀州の殿様にも愛された?川上酒の魅力3選
紀北で発展していった川上酒の人気になる要因は何だったのか?
- 昔の書物にも書かれたかつらぎ町のお米作りを支えた風土
- 山々に挟まれ、夏は暑く、冬は寒い寒暖さの大きい気候
- 芳ばしく旨口だった川上酒を支えた杜氏(とうじ)と蔵人(くらびと)
などが考えられます。
天野米を輩出したかつらぎ町のお米
紀北は県内でも有数の穀倉地帯であり多くのお米が育てられる一方で、
「総本山金剛峯寺御用達米(そうほんざんこんごうぶじごようたつまい)」として認定される天野米(あまのまい)を代表するブランド米が育てられる豊かな場所でもあります。
紀伊続風土記第三巻より引用
紀北のお米は江戸時代でも書物に出てくるほど質がよく、その歴史は奈良時代にさかのぼります。
詳しくはこちらの記事もご覧ください
夏は暑くて、冬は寒い!寒暖差がいいお酒を産む?紀北の環境
お米作りにもお酒造りにも影響をあたえるのが気候などの環境。
紀北は瀬戸内海式の気候で山々に挟まれた場所にあり、夏は40度を超える日もあり、冬は氷点下になる日もあります。
日本酒はおもに15度の温度帯で管理するので適度な寒さがひつようになり、かつらぎ町はお酒造りに適した場所でした。
川上酒の魅力を活かすお酒造り
お米、環境の次に大切なのがお酒をつくる職人で紀北では但馬杜氏(たじまとうじ)が活躍しました。
但馬杜氏とは兵庫のある但馬という地域に住むお酒造りをする集団で兵庫の灘や京都の伏見といったお酒の産地に加え、全国でお酒をつくりました。
その但馬杜氏と酒蔵を営む蔵元が一緒になって川上酒の味わいなどを模索していきます。
芳ばしく旨口の酒だったといわれる川上酒の味わいはこの職人たちによって現在にも引き継がれております。
けっきょく、川上酒ってなに?歴史からひも解くかつらぎ町のお酒造り
芳ばしく旨口な川上酒が生まれるまでに長い月日をながれました。
また、その中心地であるかつらぎ町のお酒造りは1700年まえより始まっていたといわれています。
- かつらぎ町のお酒造りいつ、どのようにはじまり
- どのようにして川上酒が生まれたのか?
- その川上酒はどのようなストーリーを残したのか?
についてこれから紹介していきます。
約1700年前から造ってた?丹生都比売神社からはじまるかつらぎ町のお酒造り
かつらぎ町のお酒造りは神事としてはじまりました。
紀ノ川より紀伊山地に入り標高四五〇メートルの盆地天野に当社が創建されたのは古く、今から千七百年前のことと伝えられます。天平時代に書かれた祝詞である『丹生大明神告門 にうだいみょうじんのりと 』によれば、丹生都比売大神は天照大御神の御妹神さまで稚日女命 わかひるめのみこと とも申し上げ、神代に紀ノ川流域の三谷に降臨、紀州・大和を巡られ農耕を広め、この天野の地に鎮座されました。
丹生都比売神社 ご由緒より引用
天平時代に書かれた「丹生大明神告門(にうだいみょうじんのりと)」によるとかつらぎ町の三谷に降り立ち農耕を広め、天野の地に鎮座したとあります。
この三谷には丹生酒殿(にゅうさかどの)神社があり、この神社が奈良時代以前にお酒造りおこなっていた理由の一つといえます。
詳しくはこちらの記事をご覧ください
川上酒の誕生!江戸の紀北の大革命
それから時代が流れ、
- 室町時代に空海が真言宗(しんごんしゅう)の総本山として高野山を開山
- 真言宗の流れをくむ天野酒(あまのさけ)が信長、秀吉に飲まれ人気を博す。
- 徳川幕府がおこり、江戸を中心として江戸時代がはじまる。
それにより、
- 徳川御三家の一つとして紀州(和歌山)が選ばれ徳川家とのつながりが生まれる。
- 江戸の初期より摂津十二郷という概念がうまれ関西から江戸へお酒が運ばれる
これにより、和歌山は栄え日本酒にみかん、木材、木綿などが江戸へ送られるようになりました。
また、小田井用水の開発より
- 多くのお米が育てられるようになる
- そのお米を精米するために小田井用水に水車を設置
- 精米された質のよいお米をふんだんに使って川上酒を造る
- 紀州藩に喜ばれ紀伊続風土記などの書物に川上酒の名前がのり、江戸にも流通する
- 和歌山でも有数のお酒の産地が生まれ、全国でも知られるようになる
ようになりました。
詳しくはこちらの記事をご覧ください
川上酒を彩る この地にかかわる銘酒4選
約1700年前にはじまった川上酒の歴史にはいくつかの当時に名を馳せた銘酒や語り継がれるお酒があります。
- 高野山の開祖、空海の母が子のために造った抓剥き酒(つめはぎさけ)
- 高野山に伝わるお酒の隠語(いんご)、般若湯(はんにゃとう)
- 秀吉に愛され一世を優美した大阪、河内長野の銘酒 天野酒(あまのさけ)
- 川上酒の顔であった帯庄酒造で造られた幻の銘酒 醉人日(すヰとぴ)
詳しくは下記の記事をご覧ください
抓剥き酒(つめはぎさけ)
般若湯(はんにゃとう)
天野酒(あまのさけ)
醉人日(すヰとぴ)を今に復刻させた酔人日(すいとぴ)
https://www.hatsusakura.co.jp/SHOP/SP01.html
まとめ
今回は和歌山県紀北地域に伝わる川上酒というお酒の文化を紹介させていただきました。
この川上酒については現存する資料がすくなく、
- 川上酒はいつから呼ばれたのか?
- 川上酒とともにこの地で大切にされた川上木綿について
- 高野山でお酒はつくられていたのか?
などなど、謎がいっぱいです。
このようにかつらぎ町でもこれほどの文化が知られずにあり、全国だともっといっぱいある思います。
この活動が地域の文化の掘り起こしにつながるようにまた、川上酒の面白い文化や歴史が一人でも多くのひとに知ってもらえるようになれば幸いです。
引き続き、この地域の文化を引き継ぐ初桜酒造をよろしくお願いいたします。