こんにちは!高野山のふもとで酒蔵を営んでいるあつおです。
今回は初桜のある和歌山県紀北地域のお酒の歴史を前編、中編、後編に分けて読み解いていきます。
かつらぎ町や和歌山県紀北地域のお酒のことを知らない方はこちらの記事を先に読んでみてください!

1700年まえからあった!?奈良時代以前のお酒造り

まず、始めにお酒はなぜ造られたのでしょうか?
各地域によって違いますが紀北地域では神様に捧げるためにつくられていました。
かつらぎ町でも同様にこの地域一番古い資料は世界遺産にも登録されている丹生都比売神社に残されています。
この資料は天平時代に書かれた書物で、そこには神様の降臨と地域とのつながりが紹介されています。
また、かつらぎ町の大谷という場所には丹生都酒殿神社があり昔はこの建物でお酒造りをおこない神様へ捧げられていました。

丹生都比賣神社の祝詞から読み解くかつらぎ町の歴史

紀ノ川より紀伊山地に入り標高四五〇メートルの盆地天野に当社が創建されたのは古く、今から千七百年前のことと伝えられます。天平時代に書かれた祝詞である『丹生大明神告門 にうだいみょうじんのりと 』によれば、丹生都比売大神は天照大御神の御妹神さまで稚日女命 わかひるめのみこと とも申し上げ、神代に紀ノ川流域の三谷に降臨、紀州・大和を巡られ農耕を広め、この天野の地に鎮座されました。

丹生都比売神社 ご由緒 より引用

丹生都比売神社に伝わる祝詞にはこのように記述があります。
神様は大谷の地に降り立ち、この地で農耕を広め天野盆地にて鎮座しました。
この神様にお酒を捧げるために大谷に酒殿神社をつくられ、紀の川の水でお酒を仕込み天野盆地へと運ばれました。
このように丹生都比売神社ではお酒造りが始められ長い間つづけられました。

酒殿(さかどの)神社とは何か?酒殿とお酒造りの関係

奈良時代以前のお酒造りに欠かせない酒殿とは一体なんなのか?
現在もお酒造りをするのに免許が必要なように昔も時の権力者の許可がないとお酒造りはできませんでした。
そのお酒造りを許されたのが酒司であり酒殿の存在です。
奈良時代以前ではお酒造りは国の仕事で神社で神様に捧げるために酒司という役人が派遣され酒殿という建物で造られていました。
それ以降は室町幕府などの朝廷でのお酒造りが行われるようになり、僧侶、一般人へと造る場所が変わっていきます。

酒殿に祝詞などかつらぎ町の酒造りは丹生都比賣神社から始まった!

かつらぎ町には多くの神社があり、様々な時代にお酒造りが行われていたので各神社の詳しい内容はわかっていません。
しかし、丹生都比売神社では00年ごろよりお酒造りが始められたとされる資料が残っており、この地域で受け継がれるお酒の文化の始まりを教えてくれます。

高野山とお酒のつながり 平安時代の歴史

平安時代に移り、朝廷で管理されたお酒造りは寺院などで造られるようになっていきました。また、この時期に空海が高野山を開山し真言宗の教えがより広められていきます。
この仏教の聖地のひとつである高野山にもいくつかのお酒に関わる物語があります。
ここでは奈良時代から平安時代へ移り変わることで何が起こったのか。
また、高野山に関わるお酒の話を紹介していきます。

平安時代のお酒造りの変化 朝廷から寺院へ  

奈良時代ではお酒造りは国の仕事といて朝廷が酒司という役所をつくり、そこから各神社へ役人を派遣します。
役人は酒殿と呼ばれる建物の中で神様へ捧げるお酒を造りました。
かつらぎ町にも丹生都酒殿神社があり、かつてはこの地でお酒を造り天野盆地へ運んでいました。
平安時代になると貴族の争い酒司で働いていた職人がお寺などに移るようになり、酒造技術が民間へと流出していきました。
その流れは当然のように高野山にも受け継がれていきます。

般若湯と爪剥酒 高野山に伝わるお酒の話

弘仁7年に空海が嵯峨天皇に下賜(かし)し、高野山を開山しました。
その後、

  • 爪剥酒(つまむきさけ) 空海と母をつなぐお酒
  • 般若湯(はんにゃとう) 薬として飲んだお酒の逸話

などのお酒にまつわる物語が語り継がれます。

爪剥酒

空海のお母上である玉衣御前(たまよりごぜん)は空海に会いに香川県の善通寺から高野山へ登られました。
しかし、高野山は女人禁制だったので高野山には行けず、ふもとの九度山にある慈尊院に住まわれました。
玉依御前は我が子、空海の身を案じ籾(もみ)の一粒一粒を自身で爪剝(つまむ)かれ、お酒をつくり空海へ渡されたそうです。
その史実から旧暦3月21日の正御影供(しょうみえいく)にて毎年供えられています。

般若湯

真言密教という仏教の教えを守る高野山では飲酒戒(いんしゅかい)というお酒を飲んではいけないというルールがあります。
しかし、高野山は標高900メートルの山上にあり冬は0度を下回ることもありとても寒い場所です。
その中でつらい修行をするお坊さんに「塩酒(おんしゅ)一杯を許す」としてお酒を飲まれた。
または般若(知恵)の湯=薬のように別の表現をして飲まれたという話もあります。

般若湯以外にもあるかも!?紀北地域の知られていないお酒の話

紀北地域には世界遺産である高野山に九度山、紀の川など魅力あふれる場所があり、その中にはまだ知られていないお酒にまつわる物語が眠っているかも知れません。
川上酒(かわかみさけ)を生んだ小田井用水(おだいようすい)や橋本にある隅田八幡宮(すみだはちまんぐう)、呪術で有名な役行者が修行したと呼ばれる和泉山脈などお酒を造るうえで大切な水に水運、販路の拡大など交通や経済に関わった場所もあります。
今後も研究を続け、皆様にお伝えできるように頑張ってまいります。

終わりに

今回は奈良時代以前から平安時代に起きたお酒の歴史についてと高野山や丹生都比売神社とのお酒にまつわる物語を紹介していきました。
次回は中編ということで紀北地域とは直接的な関係はありませんが高野山の真言宗のお寺で造られた天野酒(あまのさけ)という有名なお酒をもとに平安時代から安土桃山時代のお酒の歴史を紹介していきます。

現在、紀州川上ブログでは話せない話などを伝えるためにLINEの公式アカウントを作成しています。

  • もっと、かつらぎ町のお酒文化を知りたい!
  • 初桜のお酒に興味ある!

など関心ある方は下記のボタンから登録お願いします。