酒蔵はどのようにできたのか?
酒蔵はいつ造られたのか?
日本全国には約1600軒の酒蔵があり、地域もバラバラなので場所によって成り立ちは違います。
ある酒蔵は大名などの権力者からの庇護を得て、ある地域では藩の許可をもらいその地域の有力者が始める。などなど場所によって様々あります。
まずはおさらいとしてお酒はどのように造られてきたの?を簡単に紹介していきます。
【おさらい】お酒造りの成り立ち
お酒造りの歴史は古く、奈良時代以前より神様に供えるために宮内庁の管理の元で行われていました。
その後、国が乱れるにつれ職人がお寺などに逃れそこで新たなお酒造りが始まりました。
その代表が僧坊酒(そうぼうしゅ)で奈良の菩提泉(ぼだいせん)、河内長野の天野酒(あまのさけ)などが有名です。
また、京都などの一部地域でこの時代から酒蔵が生まれたそうです。
戦国時代が始まり、各地で戦が行われると道が造られ都会の技術が伝わると地方でもお酒造りが始められます。
江戸時代では伊丹から始まったお酒造りが灘に移り大規模なお酒の産地が生まれていきます。
この頃より、酒蔵増えていきます。
より、詳しい内容が知りたい方はこちらの記事もご覧ください。
日本酒から読み解く紀北地域の歴史 前編
日本酒から読み解く紀北地域の歴史 中編
日本酒から読み解く紀北地域の歴史 後編
紀北(きほく)地域では酒蔵はどのように造られたのか?
では、初桜酒造のある和歌山県紀北地域ではどのようにして酒蔵が生まれたのでしょうか?
紀北地域は和歌山でも有数の穀倉地帯でお米作りが盛んで又、木綿業を中心に栄えていました。
しかし、当時より水不足による飢饉が度重なりお酒造りの許可が下りませんでした。
江戸中期、藩主の徳川吉宗の命で作られた農業用水の開拓により水不足が解決し、そこから藩から許可がもらえるようになりました。
そうして、地元の木綿業者や米などで財を成した人達が許可をもらいお酒造りが始められました。
また、これがこの地域に受け継がれる川上酒(かわかみさけ)の始まりでもあります。
紀北以外の酒蔵はどう生まれたのか?
和歌山県の中心地である